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陸前高田で亮平さんを信じて待った日
要約
2011年の東日本大震災で岩手県陸前高田市の市庁舎屋上に避難した菅野道弘さん(71)が、津波や街の壊滅を目の当たりにし、学校給食センターに置かれた災害対策本部で夜を明かしながら地域の医療や避難所の対応に当たった様子を伝えます。安否不明の部下を信じて待ち続けた場面が描かれています。
本文
2011年3月、岩手県陸前高田市で発生した東日本大震災の直後、市の健康推進課長だった菅野道弘さん(71)は同僚や住民らと市庁舎の屋上に避難し、津波にのまれる街の様子を目にしました。翌日はがれきの中を歩いて高台の学校給食センターに向かい、そこに置かれた災害対策本部で寝泊まりしながら地域の対応に当たりました。透析患者の搬送や医薬品・医療機器の不足など、切迫した課題が続いたと伝えられています。菅野さんは安否が分からない部下たちのことを案じつつ業務に従事したとされています。
当時の状況:
・市庁舎屋上に避難し、津波にのまれる様子を目撃した。
・多くの住民や市職員が犠牲になり、街が大きな被害を受けた。
・菅野さんは学校給食センターの災害対策本部で寝泊まりしながら対応に当たった。
・安否不明の部下を気にしつつ、避難所や医療拠点を回って状況確認を続けた。
まとめ:
この記事は東日本大震災から15年の連載記事の一部で、菅野さんが直面した被災直後の現場と心情を伝えています。生活や医療の逼迫が続いた点が示されており、今後の公的な発表や追加の取材予定は現時点では未定です。
